てくてく図鑑
金倉寺
かりていどう
解説
弘仁9年(818)、まだ5歳であった智証大師のまえに、突如として訶利帝母が姿を現し、彼の仏道修行を守護すると約束した。この出来事は、のちに金倉寺の訶利帝母が「日本最初出現訶利帝母」と呼ばれる由縁となる。その後、入唐留学より帰朝した智証大師によって訶利帝母尊像が刻まれ、訶利帝堂が建立されたという。
現在の建物は、享保元年(1716)に高松藩主松平家の母君より、子授と安産のお礼として寄進されたものである。正面の拝殿は、明治14年(1881)に金倉寺中興第12世・松田俊順によって建立された。これは「塩飽大工」後期の建築で、波の彫法などにその特長がみられる。
指定区分
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構造
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年代
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所在地
香川県善通寺市金蔵寺町1160